「日本アルプス」の名付け親はイギリス人の鉱山技師ウイリアム・ガーランドと言われていますが、日本アルプスを最初に世界へ紹介したのはイギリス人宣教師、ウオルター・ウエストンです。彼は1896年日本での登山紀行を「日本アルプス 登山と探検」という著書にしてその名を広めました。ウエストンはその後日本山岳会の設立にも参画、日本人に「山を登る楽しさ」を教えてくれた人物と言えます。
上高地ではその功績を称え記念碑が置かれ、毎年6月の第1日曜日に「ウエストン祭」というお祭りが開かれています。
(長野県 松本市)
W・ウエストンが初めて日本アルプスを目にした時の気持ちを綴った一文
私たちは、思いがけなくその展望に接したので、その壮麗さにはただ驚嘆するばかりだった。その連峰の中央部と南部全体は、足の下に広々と拡がる松本平とそのかなたの淋しい飛騨の国とのあいだに、一つの大きな障壁のように、西の方の前面にそびえていた。高さ3000メートルないしそれ以上の雪襞のある尾根や気高い峰々が、落日に映えたオパール色の空を背景に、紫の輪郭も鮮やかにそびえている。日本のマッターホーンである槍ヶ岳(槍の峰)やペニンアルプスの女王ワイスホーンの縮図を想わせる優美な三角形の常念岳、それより遥か南の方には、どっしりとした双峰の乗鞍岳(鞍の山)がそびえ、それぞれ特徴のある横顔を見せている。
1896年 「日本アルプス 登山と探検」(岡村精一訳)